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이노켄지와 그의 아내 유카
 
 
 

人は見かけによらない。飯野賢治はいい奴だ

e6abf977.JPG 「今夜は恋人気分」という番組がNHKで開始されて数カ月経つ。なかなかの好評のようだ。番組として欠かさず見ているわけではないが、これはと思う人が出演するときに見ることがある。今回、飯野賢治(34)・由香(33)夫婦のものを何の気もなく見て少し、驚いた。私は飯野氏の顔は知っていた。ゲームを作る人だということも何となく知っていた。だが、それ以上のことは何も知らない。「Dの食卓」などという大ヒットゲームを作った人であるとか、ゲームクリエーター界ではカリスマ的な存在感を持つなどの事情は全くしらない。当然、そうしたゲームをやったこともなかった。
 
 二人の出会いは10年前らしい。由香さんが大阪の大手家電メーカーに勤務していて時々、ショウルームを担当していた時にゲーム機器などを紹介する場所に賢治さんが来場して出くわしたらしい。当時の彼は弱小ゲームソフト制作会社の代表だった。だが、居並ぶ多数の大ゲームソフト制作会社の者の中でも、断然強い存在感=オーラを感じ取ったのが妻の由香さんだそうだ。

 信じられない話だが、賢治さんに由香さんは直感的に魅了されて、その場で
 
 「この人と結婚する気がする。」
 
 と直感したらしい。そこまではいいんだが、由香さんからその場で
 
 「私と結婚する気がしませんか?
 
 といきなりアピールしたという。すごい行動力。その後、どういう経緯を辿ったのかは知らないが、交際がスタート。半年後に結婚した。一挙に盛り上がったものと推測される。
 
 賢治さんは相当のインパクトがある外観をしている。私も正直にいえば、
 
 「何だ、この気持ち悪い男は。」 
 
 と思っていた。人を外観で判断してはならないといわれるが、あのビジュアルは並ではない。この男に初めて出くわしたときに早くもその魅力を感じ取った由香さんは何という嗅覚の持ち主だろうか。

 彼に高い学歴はない。高校中退後、ゲームの世界へ入り19歳で会社を立ち上げた。95年、「Dの食卓」を発表し全世界で100万本を売り上げた。一躍、時代の寵児となった。現在は、ウェブログ、テレビ、ラジオ、書籍、雑誌。様々なメディアを舞台に、ゲーム以外でも才能を発揮している。
 
 紙一重的な芸術家肌の賢治さんとの結婚生活については、浮き沈みが激しいものだったようだ。しかし、ゲーム生活が一段落付くと家族3人で旅行へ頻繁に出かけたりする面がある。しかも、どうも話を推察すると夜行列車のサンライズに乗って四国へ行ったようだ。そういう旅行の組み立てはなかなかセンスがよい。私も結婚して家族が出来て金があったら是非やってみたいパターンである。

 結婚してからは少しずつ賢治さんの考えも変わり、自分は自分で妻は妻、結婚はしているが他人としての由香さんという感覚が、やがて自分と妻二人での共通の人格とでもいうものが出来上がっていったという。これは飯野氏にとってもショックだったことのようで、自分がそうなるとは思わなかったという。それを聞いていて私も、ほう、と思った。

 98年に長男が誕生。しかしこの年から翌年にかけて、賢治さんは大作ゲームの制作の追い込みに入った。最高に忙しい時期になったらしい。育児は全く手伝えない。実家も遠く子育てに不安を抱える由香さんと、「Dの食卓」を超える大作をリリースしなければならないという強烈な周囲の期待+プレッシャーの中、制作に没頭する賢治さんとの間には、これまでにない深い溝が出来たという。
 
 「ああ、お前といると全然ものが作れねえ。」
 
 といわれたこともあり、相当にショックだったようだ。ものを作っている人が夫でその人からそういわれれば傷つくだろう。
 
 「ああ、一番、いっちゃいけない言葉ですよね。」
 
 と頭を抱えて反省していた彼が非常に印象的であった。この時、由香さんの心の支えとなったものは、雑誌への連載だったらしい。 ゲーム制作者の子どもとゲーム制作者という夫を持つ妻としての随想のようなものだったようだ。たった1ページの連載だったが、これを書くだけでも大変だということが身にしみて分かり、夫の仕事への理解も進んだというから面白いものである。
 
 その他にも色々エピソードが。

 1 大作完成後、一挙に月2,3回というハイペースで旅行へ出かける。圧倒的に家計から旅費の割合が増える。
 
 2 付き合っていた時代に、必ず家路について別れるとき、振り返って手を振るということは賢治さんにとって重要だったことだった。それを必ずやる気持ちになったのは由香さんだけだったそうだ。
 
 3 由香さんももう一度、生まれ変わっても彼と結婚したいと言っていた。たびたび賢治さんをじっと見つめては考え込む姿は、何ともいじらしい。よほど惚れ込んでいるのだということが、よくわかる。
 
 4 彼は結婚式が大嫌いだったが、結婚して2年後、妻の結婚式に対する憧れの気持ちをくみとって式を挙げる。簡単な写真集などを作って配布したらしい。それを見て、「ああ、バカなことしました。これだから嫌なんだ。結婚式は!」と照れている姿も面白かった。

 5 スタジオからの帰り際、通路にて「お前の緊張が移ったよ。」とか、「まあ、でも色々分かったし。」というやり取りも味わいがあった。自然体であるというよりも、ややぎくしゃくしてはいるが、2人がいい関係にあるということがよく解るのである。
 
 6 ピンクの便座カバーなどは堪えられないらしい。笑えた。
 
 飯野氏は決してそばにいてほしくないタイプの人間ではなかった。話しも面白い。人は全然、見かけによらないと改めて思った次第です。


 


日 게임산업 천재의 성공 노하우 '게임' 출간
매일경제 | 기사입력 2000-04-17 14:57
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<허 연 > `스타크래프트'라는 게임이 국내에서 폭발적인 반응을 얻으면서 우리도 이제 `게임산업'이라는 말을 종종 사용한다.

게임산업은 이미 일본과 미국에서는 국가의 기간산업 역할을 하고 있다. 그 자체만으로도고부가가치 산업이지만 영화 애니메이션 캐릭터음반 등 주변 산업에 미치는영향력을 그야말로 절대적이다. 국경도필요없다.

미국과 함께 전세계 게임산업을 이끌고 있는 일본에서 게임의 달인으로 불리는 사람이 있다. 바로 이노 켄지(飯野賢治)라는 29세의 젊은이다.

한국에서도 10만명이 넘는 마니아를 가지고 있는 게임기획자인 그가쓴 책 `게임'(뜨인돌 펴냄)은 단순히 게임산업을 이야기 하는 책이 아니다. 이노 켄지에게 게임은 예술이다. 그는 20세기 인간의 가장 고귀한 창작물이 그림이나 시(詩)였다면 21세기엔 게임이 될 것이라는 사실을 자신있게 주장한다.

1995년 일본 게임 시장에는 누구도 예상치 못한 파란이 일어났다. `워프'라는 무명의 소프트웨어 회사가 내놓은 `D의 식탁'이라는 게임이엄청난 성공을 거두었기 때문이다. 워프는 순식간에 부와 명성을 거머쥔 회사가 됐고 사람들의 관심은 이 회사의 젊은 사장 이노 켄지에게쏠렸다.

그가 만들어내는 게임은 기존의 게임과 달랐다. 한국 못지 않은 학력위주 사회인 일본에서 고등학교 중퇴의 학력을 가지고 세상에 뛰어든그의 게임은게임산업계에 신선한 충격을 던졌다. 그가 만든 게임이성공을 거둔 가장 큰 이유는 게임에서 인간의 냄새가 났기 때문이다.

게이머의 가슴을 적시는 서정적인 대사, 한편의 영화를 보는 듯한 역동적인 영상, 수준높은 배경음악과 효과음은 제도권 교육 밖에서 독서와 다양한 경험을 통해 지식을 쌓은 그만이 할 수 있는 새로운 차원을보여줬다.

게임을 예술의 차원으로 등극시킨 그의 게임은 어느 하나 예사롭지않다. `D의 식탁'이후 60만개 이상의 판매고를 올린 게임 `에너미 제로'는 데카르트의 `나는 생각한다.

고로 존재한다'라는 철학적 주제에 대한 깨달음을 담은 작품이다. 사람들은 그져 부수고 죽이고 깨는 다른 게임과는 다른 세계를 만나면서그의 마니아가 됐다.

`에너미 제로'의 신작 발표회 날 이노 켄지는 이렇게 말했다. "무대위를 흐르던 마이클 나이먼의 음악. 나는 더 이상 돈과 숫자에 얽매이고싶지 않았다."

그는 이밖에도 세계 최초로 시각장애인을 위한 게임인 `리얼 사운드-바람의 리그렛'을 만들기도 했다. `게임은 곧 돈'이라는 일반론을 부정한 것이다. 그는 게임이 한 시대를 대표하는 문화적 표현이자 사람들속에서 살아숨쉬는 커뮤니케이션의 수단이라고 믿는다.

이 책에서 우리가 느낄 수 있는 건 그의 게임철학이다. 이노 켄지는이제 게임산업의 걸음마를 시작한 한국독자들에게 게임에 대한 올바른인식과 프로정신이 무엇인지를 가르쳐 준다.

그의 책은 학교를 떠나 지금도 용산전자상가의 어느 골목을 헤매는한국의 젊은이들에게 희망의 메시지를 전해 줄 수 있다. 학력보다 재능을, 경력보다 적성을 믿은 한 청년이 대가가 되어가는 과정을 통해21세기가 원하는 지식인의 일면을 만날 수 있는 것이다.(02)734-7711

Posted by 반드라스
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